心穏やかに日常を送る

日常を綴ろうとすると、猫の話しになりがちだ。

誰かに見てもらいたい写真はひたすら溜まっていく。こうやって愛猫の写真を眺めているだけでも頬がゆるむ。ただ、猫ブログにしたい訳でもない。

長楽庵(事業所)のほうには、優生保護法下で行われた強制的な不妊手術や入管の問題など、関心のある話題を書く。では、個人ブログに残したいことは何だろうと考える。

おそらくライフスタイルにかかわることだろうと、いまは思う。心穏やかに生活することが、人生後半のテーマになる気がしている。

私が見てしまう動画は、モノの片づけ、キャンプ、貯蓄、食べもの、お酒など、バラバラだけど、きっと通底する要素があるのだろう。

誰かと比べず、価値を値踏みせず、いつも落ち着いた気持ちで送る日常を、何よりも大事にしたい。2016年に起きた相模原事件から、なかなか踏み込んで考えられなかったが、グッドバイブスと出会って楽になった。ここでも2019年に2回ほど記事にしている。

記事をとおして、ライフスタイルの断片を書いておきたいと思った。

今朝の黒猫

今朝の黒猫、まだ3歳

日曜の朝は、猫の写真が増える。自宅で過ごせる日は、とくに撮りたくなる。

こちらの黒猫は、人にもネコにもよく話しかける。上手に甘えてきて、可愛らしい。先住猫ヒトリのときは意識しなかったけれど、フタリになると性格の違いを感じるようになった。

動物病院に行くと、先住猫は「おうちでも神経質…ですか?」と遠慮がちに聞かれ、ケージには取り扱いの注意書きまで貼られていた。それを見た私は、親(保護者)として「誰に似たのだろう」と思いつつ、自分のことを指摘されたような気分になる。

黒猫は警戒心が強いと言われているそうだ。たしかにこのコもビビりだ。

病院に行くまでは抵抗に抵抗を重ねて、呼吸も荒くなる。しかし、いざ病院に着くと、腹が据わるのか諦めの境地なのか、堂々と処置を受けて先生を困らせることはない。

二匹目の黒猫を迎えて、もう2年以上が過ぎた。先住猫も黒猫もお互い我慢してくれて、ネコ同士の関係も良いものに変わってきた。

私たち人間が体調を崩したときは、そっと寄り添ってくれる。

フタリとも、いつもありがとう。

うちに来てくれてありがとう‐『猫のいる家に帰りたい』

わが家にいるネコたちは、フタリとも小さい頃に危ない状況から保護された。見つけてくれた人ありがとう、生きのびた本ニャンえらいと、私たち夫婦は話してきた。

はじめて仔猫を迎えたときは嬉しくて嬉しくて、送り出した人の気持ちを想像するのも難しかった。

もらわれていった子猫に

この家を思い出さない未来を望む (58頁)

この歌には、次の文章が寄せられていた。

希望者が現れないまま半年が過ぎ、やはりうちで飼うことになるのか、と思い始めていた。そんな中で、二匹一緒に引き受けてくれる人が現れた。喜ばしいからといって、さびしくないわけじゃない。

やはりそうですよねと思い、しみじみと読んだ。うちの保護主さんだって、たくさんの愛情を注いで、大変な時期を面倒みてくれたのだろう。

まる(先住猫)

ミルキーはママの味すら知らないで

鳴いていた猫に名付けた名前 (70頁)

こんな歌にも目がとまった。

まだ1歳になる前のこと、まるが毛布をチュッチュと吸うのをみて、お母さんと離れて寂しいのかなと切なくなったことを思い出す。

 

今朝の愛猫

今朝の先住猫、今年の夏で8歳になる

はてなブログのお手入れを始めて、過去の記事を読んでいる。

4年前に写真を撮ることという記事があった。新聞にくるまった愛猫が愛おしい。

あの頃もっていたミラーレスで撮ったのだろう。すでに「カメラが重い」と書いてあった。

いまはGalaxyかPixelのスマホに、すっかり頼りきっている。今朝も私を起こしにきた猫が可愛らしくて仕方ない。

10年以上前に撮ったiPod touchの写真たちも「何年前のこの日」と出てくると、結構楽しめる。

事業所サイトを更新しました

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ずいぶんと長いあいだ、お手入れできていなかった。急に思い立って、リンクを直したり、気になる記事を更新したりした。

はてなブログからWordPressにインポートした記事のハイパーリンクはこのままでいいのだろうか。ちょっとずつやっていこうと思う。

体調がいいときは楽器に触れるように、生活が穏やかならブログも書きたくなる。

そんな日常を残しておきたい。