ご機嫌でいることを心がけたら、ギターを弾きたくなった

蒼いライオンのライブの帰り、すごく格好よかったと感激しながらこれを書いています。
前回、音叉の喩えをしましたが、好きな音楽は内面に響くのですよね。絵も写真も共鳴して、響きが広がっていく感じがする。
とてもよかったから、もう言葉を重ねたくないな。それより自分がギターを弾きたいと思いました。

こう思ったのは、とても久しぶりです。音楽に触れているかどうかで、自分の調子が分かる気がします。私の場合は「これが出来ていれば大丈夫」というバロメーターになります。

毎日ギターを手にしようとすれば、今日は余裕がないから等の言い訳ばかりになります。本来の調子を取り戻すチャンスなのに、見逃してしまうのです。
子どもの頃から気づいてた気がします。変な日本語ですが仕方ない。こういった感覚を言葉にできなかったですし、いつの間にか忘れてしまうことの繰り返しでした。

あなたが続けている「こと」は何かありますか? うまく説明する言葉が見つからないので、ここでは趣味と呼びます。
やってきた結果、自分はこれが好きなのかな?と曖昧に感じるものがいいと思います。趣味っぽいジャンルに縛られない方がいいとも思います。そうしたものが、いつか自分の一部になっていきます。もしそれが日常から切り離されれば、うっすらと違和感が残るようなものです。

いろんなもの/ことと、感覚的につながっていると意識する。

私の場合はこれが調子の良し悪しを左右する気がしてきました。「考えている自分」はギターを弾かない言い訳を並べて、「感覚的なつながり」を意識するとギターを弾きたくなる。前者の声にばかりこだわってきたけれど、きっといまの私に必要なのは後者だと感じた夜でした。

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