自分で気づかないうちに不安になって決めつけてしまうことを「意味づけ」と呼ぶ−いい感じの生き方を選びたい

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以前も書きましたが、倉園さんが平日更新されているグッドバイブスを読んでいます。あなた(学生)にもぜひ読んでほしい。そこで、私が理解しているニュアンスを整理していきたいと思いました。

最初に出会うキーフレーズが「意味づけを手放す」です。私たちは何もわかっていないのに「わかったつもり」にしてしまいがちです(意味づけ)。自分の想像だけで実際は違う可能性があるのに、そうしてしまう訳です。

理由は自分を守りたいからで、きっと「守らなければいけない」という思い込みによるものです。簡単に言えば、不安だからあれこれと想像して一層不安になってしまう。この悪循環を一度見直してみませんか?という提案が込められています。

誤解のないように言い添えます。「意味づけをしてはいけない」と禁止されるのでもなく、「またやってしまった」と罪悪感を抱く必要もありません。判断を保留したほうが、楽に楽しく生きられる選択肢が目の前にあらわれるし、仮にそうだとしたら「いい感じ」のほうを選びたくないですか?という話です。

「言うは易く行うは難し」の通り、私にとって実践するのは簡単ではありませんが、目の前の世界がひらける楽しさがあります。私たちは、自分で考えていること=自分だと信じているので、脊椎反射のように「無理」と反応したくなります。だって自分の視点が正しいかどうか吟味してみようなんて、入口の見当たらない迷路へのお誘いみたいです。きっと多くの人がまったく考える余地なくスルーするかもしれません。

でも意味づけを手放すと、ぐっと可能性が広がるとしたらどうでしょう。これも架空の想定だと言えますが、これまで通りの意味づけも/手放す練習も、同じように想像の範疇であるなら、誰かと/何かとつながる喜びがずっと大きい方を私は選びたい。

日常で「意味づけを手放す」を練習するとき、自分が損をするのでは?とまた守りに入りたくなります。だからグッドバイブス練習中の足跡を書きたくなりました。

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