ご機嫌でいることを心がけたら、ギターを弾きたくなった

蒼いライオンのライブの帰り、すごく格好よかったと感激しながらこれを書いています。
前回、音叉の喩えをしましたが、好きな音楽は内面に響くのですよね。絵も写真も共鳴して、響きが広がっていく感じがする。
とてもよかったから、もう言葉を重ねたくないな。それより自分がギターを弾きたいと思いました。

こう思ったのは、とても久しぶりです。音楽に触れているかどうかで、自分の調子が分かる気がします。私の場合は「これが出来ていれば大丈夫」というバロメーターになります。

毎日ギターを手にしようとすれば、今日は余裕がないから等の言い訳ばかりになります。本来の調子を取り戻すチャンスなのに、見逃してしまうのです。
子どもの頃から気づいてた気がします。変な日本語ですが仕方ない。こういった感覚を言葉にできなかったですし、いつの間にか忘れてしまうことの繰り返しでした。

あなたが続けている「こと」は何かありますか? うまく説明する言葉が見つからないので、ここでは趣味と呼びます。
やってきた結果、自分はこれが好きなのかな?と曖昧に感じるものがいいと思います。趣味っぽいジャンルに縛られない方がいいとも思います。そうしたものが、いつか自分の一部になっていきます。もしそれが日常から切り離されれば、うっすらと違和感が残るようなものです。

いろんなもの/ことと、感覚的につながっていると意識する。

私の場合はこれが調子の良し悪しを左右する気がしてきました。「考えている自分」はギターを弾かない言い訳を並べて、「感覚的なつながり」を意識するとギターを弾きたくなる。前者の声にばかりこだわってきたけれど、きっといまの私に必要なのは後者だと感じた夜でした。

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人は「いい感じ」にチューニングされていく

子どもの頃から楽器を弾いていて、音叉でチューニングしています。チューニングを言葉で説明しにくいのですが、音叉を鳴らして弦の周波数(440/442ヘルツ)と重なると「音程が合った」とわかります。一度身についたら、しばらく楽器に触れなくても忘れることはありません。自転車に乗るようなもので、身体にインストールされます。

今回もグッドバイブスのことを書きます。人は本来、グッドバイブスに共鳴するようになっているのではないか?という話です。

人に会ったときに、感じがいい/悪いと私たちは言ったりしますが、何をみて判断しているのでしょう。具体的に聴かれると困りませんか。

たとえば、あなたの前に座った人が「いい感じの思い」を抱いていれば、それは「グッドバイブス」となってあなたの「いい感じの音叉」に共鳴します。その結果、あなたも同じ「いい感じの思い」をもち始め、「ああ、この人はとても話しやすそうだ」と感じるようになります。(112ページ)

人から受ける印象は、周波数のような「バイブス」の共鳴によるものだとします。目には見えないけれど、何かを感じる。笑顔がすてきだったから良い印象をもったのではなくて、いい感じに共鳴して(きっとお互い)いい表情になっているのだと思います。

人は本来「いい感じ」の波に響き合うようになっていて、グッドバイブスがデフォルトなのだと思います。バッドのほうは「本来の方向が逸れた警告」みたいな感じでしょうか。嫌な感じの状況に巻きこまれたら、誰だって居心地悪くなるからです。

どうして私が「本来の周波数」にこだわるかは以前書いたことがあり、繰り返し書くと思いますが、2016年に相模原で起きた痛ましい事件がきっかけでした。

人の価値をはからない。優劣を比べない。すべての人が等価である。

まず私自身がこれを日常的にできるようになりたいですし、同時に学生さんにも真摯にお伝えしたい、きっとあなたの人生がより豊かになるよと。

「ひとつ意識」とは、自分と他人、世界の森羅万象をひとつの生命と捉え、それらすべてに等しく「創造のエネルギー」が宿っていると感じること。(59ページ)

(中略)自分と他人に共通して流れる「ひとつの生命」という別次元の感性が入ってきたとき、そして、すべての人々が同じ価値をもっていると感じられたとき、私たちが見る世界はその姿を大きく変え始めます。(60ページ)

元々「ひとつ」なのだとしたら、比べたり優劣を競う必要もないですよね。

バラバラな世界に馴染んだ私たちからすると、「あやしい話」に見えるのはわかります。いまはただ自分の感覚に耳を澄ませ、心地よいと感じることに意識を向けてみてください。

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自分で気づかないうちに不安になって決めつけてしまうことを「意味づけ」と呼ぶ−いい感じの生き方を選びたい

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以前も書きましたが、倉園さんが平日更新されているグッドバイブスを読んでいます。あなた(学生)にもぜひ読んでほしい。そこで、私が理解しているニュアンスを整理していきたいと思いました。

最初に出会うキーフレーズが「意味づけを手放す」です。私たちは何もわかっていないのに「わかったつもり」にしてしまいがちです(意味づけ)。自分の想像だけで実際は違う可能性があるのに、そうしてしまう訳です。

理由は自分を守りたいからで、きっと「守らなければいけない」という思い込みによるものです。簡単に言えば、不安だからあれこれと想像して一層不安になってしまう。この悪循環を一度見直してみませんか?という提案が込められています。

誤解のないように言い添えます。「意味づけをしてはいけない」と禁止されるのでもなく、「またやってしまった」と罪悪感を抱く必要もありません。判断を保留したほうが、楽に楽しく生きられる選択肢が目の前にあらわれるし、仮にそうだとしたら「いい感じ」のほうを選びたくないですか?という話です。

「言うは易く行うは難し」の通り、私にとって実践するのは簡単ではありませんが、目の前の世界がひらける楽しさがあります。私たちは、自分で考えていること=自分だと信じているので、脊椎反射のように「無理」と反応したくなります。だって自分の視点が正しいかどうか吟味してみようなんて、入口の見当たらない迷路へのお誘いみたいです。きっと多くの人がまったく考える余地なくスルーするかもしれません。

でも意味づけを手放すと、ぐっと可能性が広がるとしたらどうでしょう。これも架空の想定だと言えますが、これまで通りの意味づけも/手放す練習も、同じように想像の範疇であるなら、誰かと/何かとつながる喜びがずっと大きい方を私は選びたい。

日常で「意味づけを手放す」を練習するとき、自分が損をするのでは?とまた守りに入りたくなります。だからグッドバイブス練習中の足跡を書きたくなりました。

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筋トレが楽しいと思う日が来るとは思わなかった

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ある人に勧められて、筋トレを始めた。2万円近くするダンベルを買った。重さをすぐに切り換えられて便利だ。ダンベルに種類(可変式というらしい)があることも知らなかった。

8月中旬から始めたので、まだ数回しかやっていない。著者の北島さんによると、週1〜2回のトレーニングで効果が出るというのだ。つまり「やりすぎない方がいい」と書いてある。すぐに飽きてしまう私としては大変有難く、都合のいいアドバイスだ。どうやら私が楽しそうにやっているようで、パートナーもやってみたいと言ってくれている。

ある部位に負荷をかけるシンプルな運動が楽しい。身体が燃えている感じがして、生きている実感もわく。自宅でできるのも良い。

もともと運動することは好きだったと思う。以前住んでいた駅の近くにスポーツジムが出来て、パートナーと通っていた。泳いだり軽く走ったりお風呂で汗を流すのが好きで、筋トレマシンはほとんどやらなかった。どう使えばいいのか分からなかったし、楽しくもなかったからだ。

それが今は自宅でダンベルをもって、ハアハアいっている。自分で書いていて大丈夫だろうかと心配になるけど、身体の手応えがあって楽しいのだ。

未来のことは分からない。分かったつもりにならない方が、豊かな気がしている。ブログタイトルを「ソーシャルワーカーの本棚」としたことも、それ系の本をたくさん紹介しようと張り切っていたのだろうなと気恥ずかしい。

北島式筋トレ塾 最短・最速で究極の身体をつくる (講談社の実用BOOK)

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とくに暑い日は生きていることを実感できる−『あなたの知らないApple Watch』

今日は何もできなかったな、と一日の終わりに思うことがあります。
同時に、こうも感じます。
今日は一日生きているだけで大変だったなと。

このあいだ身につけているApple Watch4が、ブルブルと震えて何か伝えてきました。確認すると「安静時に心拍数100を超えた」という通知でした。

あなたの知らないApple Watch』をKindleで読み、著者のお一人 佐々木正悟さんの真似をして、安静時に通知する心拍数を100に下げたのです(デフォルトは120拍/分。写真の通り100〜150から選択可)。


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通知がきたとき私は電車で立っていて、ようやく暑さから逃れたところで、しんどいなあと思っていました。
しんどさは体感で何となくでした。自覚するかしないかのレベルです。そこに高心拍数のお知らせ。ほら、自分は頑張っているのだと実感して、妙に嬉しくなりました。

心拍数を知ったところで何になるのだ?と思いませんか。私は、少し思っていました。でも体験すると実に良いのです。身体のサインを客観的に把握するのは難しいですから。
こうなると腕時計に、いまの自分のバイタルがもっと表示されることに期待してしまいます。とくに血糖値がわかると良いなあ。

ごりゅご 自分の場合は A p p l eの標準ツ ールをできるだけ使うことで、自分自身を A p p l eに最適化してきたので 。 S i r iが教えてくれることでだいたいこと足りるようにしようとしているのもあるし 、そうなってきたっていうのもあるし。

この本で、すごく驚いた五藤隆介さんのお話です。「自分をAppleに最適化」、この発想はなかった!

Apple Watchに届く通知を絞れば、必要最低限のことが分かるし、それ以外を知りたくない。無駄にiPhoneを手に取ることが減り、精神的に楽になりました。

心拍数も通知設定も、やってみて初めて自分に必要なことが分かる。実感するから納得したことがたくさんあります。事前に頭だけで考えない方がいいと思いました。

あなたの知らないApple Watch: これまで語られなかった小さな使い方

あなたの知らないApple Watch: これまで語られなかった小さな使い方

 

うちのネコが4歳になりました

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うちのネコが4歳になりました。

おめでとう! 嬉しくて仕方ありません。
毎日みていて、毎日かわいがっていて、飽きることがない。いつみても愛らしい。なんてすばらしい存在なのだろうと、パートナーとほめまくっています。

ところで「ネコの何歳は、人間だと何歳くらい」という表現があります。どうしてネコの歳を人間の時間軸に置き換えたくなるのだろう。人と比べるなんて、おこがましい。